June 24, 2005

あぁバーグマン。君は遠くになりにけり:領事業務システムでパブコメ

 外務省が領事業務について、パブリックコメントを出してる。(~6/28)
 パスポート関連のシステムの改善方針についてのものだけど、これに先行するかたちで、出入国記録や在留資格審査、外国人登録のパブコメを法務省もだしている。

こういうシステム化は「きちっとやる」という方向性を必然的に持ってしまうため、おおらかな既存制度の隙間的な利用で、事実上の一般的となっていたやり方が通用しなくなる可能性がかなりあるよね。事実上、現在は容認されている重国籍も、情報としてチェックが厳しくなれば苦しくなる日が来るのかもしれない。

先日も、パスポートチェックが厳密になると、偽造旅券でもなんでもとにかく入国することが前提となる難民申請を妨げることにならないか!…という関係団体の主張を聞きながら、

かの映画「カサブランカ」のラストシーンに象徴されるような、難民のイメージも今は昔になってしまうかもしれないなぁ。

 映画「カサブランカ」(1942、米)
 
そんなふうなこと、かんがえました。
ああ、ハンフリー・ボガード、イングリッド・バーグマン。
君たちのひとみは美しく、あっしよりも鼻が高い。

「そんな昔のことは忘れたよ」 「先のことなんてわからない」

そういうシステムの方がいいんだということをどうやって主張し、イメージ戦略を立てるか。
そんなことに思いをめぐらすようになっていますが…。長くかかりそうだな。


おことわり
  今回下敷きにした、カサブランカはあっしの父が青春時代に見たという代物ですので、若い方には
  かなり分かり難いメールになっちまいました。もし暇だったら、次のページを見ると、なんとなくわ
  かるかも…、しれない。

 「カサブランカ」(懐かしの映画館:近松屋内)

   それにしても1942年か。ずいぶんタイムリーなタイミングに制作された映画だったのね。

P.S。若者向けの切り口をもっと考えなきゃな。


領事業務の業務・システム見直し方針(案)に関するパブリックコメントの実施について(平成17年6月17日)

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December 13, 2004

二重国籍はずるいのか-02

 前回の記事では、1985年の法改正で父親からだけでなく母親の国籍も受け継ぐ両系主義に転じることになり、このときの改正のありかたが、20年を経過した今現在の議論の出発点になっていることを中心に解説した。
 じつは、このブログサイトへのアクセス経路の統計をみると、ヤフーやグーグルなど大手検索サイトから「二重国籍」で検索してやってくる人が実に多い。そうなるとこれをテーマに何か書かねばと、思ったりもする。

出生以外で重国籍にはなれない

 2重国籍を持つことになるケースで最も数量的に大きいのは、なんといっても①出生地主義をとる国の域内で生まれた子ども達と、②国際結婚で父と母の国の両方の国籍を受け継ぐことになった子ども達の場合であろう。
 あっしのように、父は秋田出身で母は埼玉出身という具合に双方が日本人、しかも埼玉県で生まれ育ったとなれば、いくら望んでも重国籍者になるのは難しい。もしかりに、こんな奴に国籍を与えようという奇特な国があったとしても、日本の国籍法は、出生後に本人が望んで他の国の国籍を取得した場合には、日本国籍を自動的に失うという規定があり、ほぼ後天的に重国籍になる道は塞がれている。
 というわけで、日本の国籍法の下では、望んでもその立場を得ることができない重国籍者。そうであるからこそ、ねたみの対象になりやすく、「ずるい」と受け止められがちだ。でもそれにしちゃあ、「米国に行って出産すれば、アメリカの国籍も取れるのよねぇ」なんて話しは、実行するかどうかはともかく、子どもの誕生を目前としたカップルなら一度は交わされることがある会話。…と言ったらちょっと大げさかもしれないが、それに近い状態にはあるだろう。
 こうしたちまたの標準的な「国民的」意識からすれば、直感的かつ安易な損得勘定としては「トクなこと」と感じられる一方で、道徳というか善悪と言う意味ででは、二重国籍は「悪いこと」という受け止め方も、ないかきわめて薄いと言っていいんじゃないだろうか。

どちらの国にも住める自由!?

 二重国籍は素敵かもしれないと考えるとき、いったい人は何を思い浮かべているのか。第一には、日本のほかにもうひとつ住める国ができるということだ。現実的には、二重国籍だからといって、1人の人間が住める場所というのはそうあるものではないが、そんなことは分かっていても、理論的な選択枝がもうひとつあるというのはうれしいものなのかもしれない。確かに小さいときからその選択枝を活かせるように努力すれば、二つの国を行き来しながら人生が過ごせるかもしれないからだ。
 もし、ひとつの国が戦争や経済的な困難に見舞われたら、逃げ出すことだって可能かもしれない。ひとつしか国籍を持っていないような個人では回避の難しい社会的困難というリスクを、低減させることができるかもしれない。そんな期待感が高いのも事実だ。
 こうした期待は第三者から見れば「特権」となる。前述のようにいくらおカネを積んでも、いくら努力しても得ることの出来ない特権。「二重国籍はズルイ」の原初的なイメージはいくら解体しても、これに尽きるような気がしている。

重国籍者に残るツライ歴史

 しかし、重国籍者がそんなに恵まれているかといえば、史実は逆を示してはいないだろうか。
 かつての米国でも、ブラジルでも、ペルーでも、これまで数多くの史実は、このような逃亡の自由を選択できた日系人がいかに少なかったか。そして二重国籍がかえって苦しい現実に巻き込まれる原因、つまり危険要素となりかねないことを強調するかのようだ。収容所に押し込まれることになっても、日本に帰国できなかった人はたくさんいたのである。ペルーや米国では、第二次世界大戦中に日本国籍を離脱する人々の動きがあったことは覚えておかねばなるまい。
 二重国籍をじっさいに人生に生かすためには、かなりの能力を必要とすることが求められるということがいえるだろう。とくに優れた能力や資質を備えなければ、そしてあっても運が悪ければ、いつでもどっちつかずのコウモり野郎と貶(おとし)められるリスクが付きまとう。一部の人が称賛を受けるようになったとしても、それは、たくさんの貶めようとする圧力を跳ね返してのものだと観るべきだ。もちろん、これを見越して回避するための努力は大いに奨励され称賛されて良いような気がする。

子どもにすればいい迷惑?

 こうした観点から、重国籍であることが、何がしかのリスク回避になる場合があったとしても、それ以上にリスク要因となることの方が多いのだという前提は、ともすると簡単に忘れられがちなのは不思議なことだ。
 重国籍となるたいていの子ども達は、おそらく両国を股にかけることなんかできない。重国籍の子ども達の中には自らこの余計な重荷から解き放たれたいと思うものだって少なくないだろう。重国籍に我が子をしたいと願う親でも、やがてはそれをウスウス知って、悲しむ他ない。
 国内の外国人を見ていても、日本国籍がとれれば、我が子の出生届を母国に出そうとせず二重国籍にすることにほとんど関心を示さない外国籍の親も少なくない。手続きの煩雑さから忌避しているというよりは、余計な国籍を持つことへの不安感が漠然とだが強くあるのではないかと思われる。
 それでもときとして重国籍者がきらめくような重要な役割を果たすシーンがある。あると思いたい。不利だという一般状況を跳ね除け、活躍できる子どもが一人でも増えるように、社会が応援する度量があるかどうかではないだろうか。

2004年通常国会/円より子質問

 そうした文脈に訴えたのが、次のにご紹介する、2004年3月8日、先の通常国会の参議院決算委員会で民主党の円より子議員が行った質問だった。やや強引だが、ここで紹介しておきたい。

「実はフランス人を父に、日本人を母親に持って、フランスで生まれフランスで育っている十八歳の男の子から手紙をもらいました。 彼は二十歳になると、フランスでずっとこれから住み続けるならば日本国籍を放棄しなければいけない。そして、彼は毎年おじいちゃん、おばあちゃんのいる日本に来て、日本語ももちろん勉強し、一か月ですが日本の小学校、中学校にずっと通い、日本をとても誇りにして、日本が大好きな男の子なんですね。でも、フランスでずっと住み続けて向こうで仕事をする。ところが、もしかしたら二十五か三十になったときに日本に帰ってきて仕事をするかもしれないというような希望も持っている。そうした人たちが今、全世界にたくさんいらっしゃるんですが、せっかく日本を愛している子供が日本国籍を放棄しなきゃいけないという、とてもそこで悩んでいるわけです。
 自分の親の血を、また受け継いだ文化、そうしたものをすべて何か放棄するようなアイデンティティーの喪失に悩む。なぜ国籍を放棄しなきゃいけないのか。そういう方たちがこれから国際結婚や、また国際結婚じゃなくても外国で仕事をする方たちが増えていくこうしたグローバルな社会の中で、こういう問題は早急に私は改めた方がいいのではないかと思うのですが、いかがお考えでしょうか。」

 この質問に対して、「率直に言って円さんみたいな感想を持った」と首相が応じ、野沢法務大臣は、世界的な傾向として「二重国籍等を認めるという流れが今のところ大きくなっている」という認識を示した。

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June 25, 2004

二重国籍はずるいのか

 入管法の改正が行なわれた国会の法務委員会で、今ひとつ国際カップル/ファミリーが注目する法律が議論されていた。それは国籍法の二重国籍に関する諸規定である。
 じつは来年2005年は、国籍法にとってひとつの節目となる年である。どんな節目かといえば、それは前回の改正から20年が経過することと関係がある。

改正から20年を迎える父母両系主義

 20年前。1985年に行なわれた改正とは何かといえば、出生の時に日本国籍が与えられる範囲を、日本人父の子どもだけなく日本人母の子どもにも拡大し、父系主義から父母両系主義に転換する改正であった。今となってはウソみたいな話だが、たった20年前の1985年以前は、日本人と外国人の間に生まれた子どものうち、母親しか日本人でない子どもには日本国籍が認められなかったのである。来年になると、この改正の趣旨にしたがって日本国籍を得た子ども達が20歳となって成人の仲間入りをはじめる。そこで2005年は、父母両系主義の国籍法の下で生まれ育った子ども達が、いよいよ成人の日を迎えるという年になるわけだ。
 父権に特別な意味のあった戦前ならばともかく、なぜ戦後、それも40年間も父系主義が生き残れたのか。リアルな感覚として捉えることは、すでにむつかしい。

「国際結婚した女は、外国に嫁に行ったも同然」
 そんなフレーズは、今日ではまず聞かなくなったが、あっしが外国人がらみの活動に取組み始めた1990年台初頭には、まだその残り香があった。外国人夫の呼び寄せの相談をするために、日本人女性と一緒に入国管理局に行くと、退職後の嘱託職員であったに違いないベテラン相談員からこの言葉を聞いた覚えがある。

 日本人女性の国際結婚といえば進駐軍の米兵と「パンパン」。ついこのあいだ気がついたことだが、そんなイメージを持った世代がいる。あっしにとっては親と同世代。「ギブミー・チョコレート」世代は、当時はまだ立派な現役世代だったハズ。ここらへんの時代風景を若い人が振り返るには武論尊の「ドーベルマン刑事」(かつて少年ジャンプで連載。01年復刻)、ちょっと下っては吉田秋生の「河よりも長くゆるやかに」あたりの漫画が入手もしやすいし手っ取り早い、そう思ったりもするが、まああっしの文献紹介(?)はあまりあてにならないのでご参考まで。

 とにかく、戦前ばかりか1985年当時までそんな意識が国内に根強く残っていたことを、どうか念頭に入れ、忘れないでいて欲しい。以後の話はこのような当時の世論環境に思いが及ばないと上手く理解することができないと思うからだ。

 ずいぶん横道にそれたが話を戻そう。国会の法務委員会で話題にもなったのは、この国籍法が持つ国籍選択制度と呼ばれる諸規定である。これは2つ以上の国籍を持った子どもは20歳から22歳になるまでの2年間のうちに、日本国籍か他の国籍を選ぶのかを宣言し、なおかつ選ばなかった国籍を放棄しなければならないという規定である。日本以外の国籍を選ぶと宣言したり、まったく宣言をしない複数国籍の保持者から、日本政府は日本国籍を剥奪することもできる…、と定められている。

 さて、あなたはこのように成人後国籍の選択を強制する必要があると思うだろうか。
 いわく「二重国籍はずるい」というは本当か?

 そんなことについても書いていくのでよろしくお願いします。

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