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October 20, 2010

萩原規子氏も佐藤さとる評

珍しく立ち寄った書店で、たまたま手にとった徳間書店の「本とも」11月号に、作家の荻原規子氏が佐藤さとるのコロボックルシリーズを評しているのを見つけた。

主人公のせいたかさんといった、「コロボックルと交流する人間たち」の姿ではなく、「コロボックル」そのものになりきって、楽しむことが好きだったという萩原氏は、空想でありながら活き活きとする小人に必要な要件のようなものを考えているらしく、日本語の児童書における小人表現をちょっとさかのぼって見るという部分もためになった。

ちなみに、同氏のブログ(「アンダンテ」 http://andante-d.way-nifty.com/blog/ )の記事によると、この論評(というよりエッセイ?)は、そのうち下記の徳間書店の児童書ポータルで公開されることになるそうだ。

「徳間書店の児童書」http://www.tokuma.co.jp/kodomonohon/mainpage/shinkan_main.html

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October 11, 2010

前振り長すぎの構成が気になったあの名作:▼佐藤さとる「だれも知らない小さな国」(講談社)

本書は、児童文学の大御所のデビュー作かつ代表作。本の好きな昭和の小学生なら必ず読んだ「コロボックル・シリーズ」の第1巻。
おいらも小学生の頃、何度も繰り返し読み込んだものだ。4つ年上の兄の本棚に並んでいたのを失敬して読んでいたような気がするのだが、その読書感想文もまた失敬して書き写し、夏休み明けに提出してしまったのだから、ずいぶんとお世話になった一冊である。

さて昨年、愚息が三年生になったころ、もうこのぐらいはもう読めるだろうとハードカバー(1100円)を購入。それから約一年がたったものの、DSとアニメばかりで、なかなか読書の習慣が身に付かない件のガキには一向にその気は見られず、グチャグチャの勉強机の上に積み置かれている本が、哀れに思え、けっきょく手を伸ばしたのはおいらと相成った。

久しぶりに読み返してみると、やはり子どものときには意識していなかったこと、気づかなかったことがいくつか気になるものだ。

まず、意外に感じられたのが、主人公の「せいたかさん」の幼少期が、じつは戦前だったということだ。
小人たちの住む山が自動車道路の計画で破壊されそうになるくだりなど、高度成長期が背景だというイメージはある。だとしたら幼少期が戦前になるのは、むしろ自然なことだが、どういうわけかそういう印象がなかったのだ。
主人公に寄り添いたかったボクは、それが戦前だという情報を無視したかったのかもしれない。

もうひとつひどく気になったことは、コロボックルの活躍が始まる前の前振りみたいな部分が非常に長いことだ。

小人たちの活躍の前に60ページ余りも読み進めなければならない。
「はやくコロボックルに会いたいなぁ」
しばらくはそう思いながら我慢させられることになる。ようやく交流がスムーズになり、テンポ良い話になるころ、物語はすでに後半にさしかかっているというバランスの悪さ。

大人であらすじも頭に入っているボクがそう思うのだから、小学生が読むとしたらかなり勢いづくまで骨が折れるのではないか。
たとえば、冒頭に数シーンを挿入してから、幼少期にプレイバックするようなことをしても良いような気がする。

とはいえ、あまりにも有名な作品だから、いまさら書き換えるなんてことはやはり無理なのか。

じつは、本書のあとがきに、著者自身もそこらへんは考えては見たのだがというくだりが出てくる。この物語が生まれた背景が、このような構成をとったひとつの理由なんだということも分かる。もし、あなたが私と同様に、久しぶりに本書を手に取ったという「かつての子ども」なら、あとがきも必ず読まれると良いだろう。

子どもに勧めるなら、シリーズ内の他の本から先に読ませる方がじつはいいのかもしれない。いや待てよ、チト恥ずかしいが、久しぶりに読み聞かせしてあげるの良いかもしれないな。

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